松下玲子オフィシャルサイト
まっすぐに ひたむきに 政治改革

プロフィール

プロフィール

ジャーナリストだった父から学んだことは「不正を許さず、制度を変える」。

勤務先でいわゆる「年収の壁」に関する不正に直面。不正を起こさないための制度づくりが必要と気付き、退社して大学院へ進学。松下政経塾卒塾生は圧倒的に自民党が多いなか、自民党は自由にものを言える雰囲気ではないと考え、あえて民主党(当時)を選びました。

1970年

愛知県名古屋市生まれ。父は時事通信社勤務のジャーナリスト。母は専業主婦。

    

新宿区市ヶ谷にあった社宅へ。市ヶ谷仲之幼稚園に入る。同じ社宅で「長崎の鐘」の永井隆博士のお孫さんと仲良く遊ぶ。

1977年

両親が社宅を退出し、横浜に家を購入し転居。市立永野小学校に入学。1983年、市立上永谷中学校に入学。

1985年

父の転勤で北海道苫小牧市へ。1986年、市立和光中学校を卒業、道立苫小牧東高校に入学。吹奏楽部でフルートを演奏し、コンクール地区大会優勝、野球部の応援も。高2の終わりに父が三重県津市へ転勤。ひとりで苫小牧に残り下宿して卒業。

1989年

実践女子短期大学入学。中野区の方の父の社宅から通学。91年に卒業し、実践女子大学へ編入。

1993年

サッポロビール入社。東京の本社ビール営業本部勤務。

1999年

サッポロビール、大阪支社へ異動。西宮市から大阪淀屋橋へ阪神電車で通勤。

2000年

サッポロビール、東京本社経理部へ異動。働きながら、慶応大学の通信課程で学び、福島瑞穂さんの授業を取ったのがきっかけで、福島事務所の学生ボランティアスタッフに。2001年、サッポロビール退社。

2002年

早稲田大学大学院・経済学研究科修士課程へ進学。

2004年

松下政経塾に入塾。25期生8名との研修活動では茶道・裏千家のお稽古や、自衛隊習志野駐屯地にも。

2005年

1月、三鷹市へ移転。

    

2005年7月の都議選で初当選。武蔵野へ住む。以後19年、武蔵野市内に住む。

2009年

都議選で再選。石原慎太郎都知事の時代、野党議員として「新銀行東京」問題、「築地市場移転問題」などを鋭く追求。都議会議員として初めて在任中に出産。表現規制につながる「青少年健全育成条例改正案」に反対。

6年間、武蔵野市長として実現・実践してきました。

2017年10月、武蔵野市長選挙で当選、21年10月、再選。在任期間6年のうち4年はコロナ禍の中、多くの政策を実現。「自治体だけでは解決できない問題がある。国が変わってくれなければ」「武蔵野市だけでなく、子どもの<いのちと健康>は、全国どこでも差がなく」との思いを強くし、国の政治を変える決意をし、市長を退任しました。

○保育園待機児童ゼロを実現し、継続

市有地の認可保育所新設に際し、自民党は反対しましたが、「絶対に必要だ」との信念から、定員数などで譲歩しつつ、実行。

○18歳までの医療費を所得制限・自己負担なく完全無償化

市議会では自民党が大反対。賛同する議員の力を得て賛成多数で実現。

○市民と地域経済を応援する「くらし地域応援券」を3回発行し、全市民に送付

○地域経済の維持を図り、都市計画税の税率0.2%を0.1%へ半減(2021年度)

○訪問看護と訪問介護、通い、泊まりの機能を組み合わせた介護施設を開設

○市民自治のさらなる推進を目的に「武蔵野市自治基本条例」を制定

○「武蔵野市男女平等の推進に関する条例」を制定し、パートナーシップ制度導入

それからの松下玲子

2023年11月、武蔵野市長を辞任。立憲民主党に入党し、東京第18総支部長に就任。武蔵野市・小金井市・西東京市を歩き、駅前などで街頭演説をし、市民のみなさんとの対話、交流を重ねています。

2024年4月、能登半島地震の被災地へボランティア。6月、西東京市で、菅直人さん、末松義規さんと対話集会。7月、立憲民主党「女性キャラバン」の吉祥寺駅前での街頭演説会を開催。