近年、日本政府は防衛力の抜本的強化を掲げ、2027年度までに「防衛力整備費および関連経費の合計をGDP比約2%水準にする」という方針を2022年12月16日、閣議決定しました。
これは法律で定められた上限ではなく、あくまで政府の目標値(方針)です。実際の金額は、毎年度の国会審議で決まることになっています。
一見すれば、国際情勢の緊張や安全保障環境の変化に対応するための当然の措置のように見えるかもしれません。しかし、私たちの暮らしが苦しい今、本当に最優先すべき政策なのか。そして、この方向が「戦争への道」を開く危うさを含んでいないか。ここで冷静に立ち止まって考えてみたいと思います。
1.庶民の暮らしは限界に近い
物価高、賃金の伸び悩み、子育て・介護負担の増加。多くの人が生活の厳しさを肌で感じています。
ガソリン代や電気代、食費の上昇は家計を直撃し、「節約しても足りない」という声は珍しくありません。地方では医療・交通・教育といった公共サービスも縮小傾向にあります。
そんな中で、政府が「防衛費を大幅に増やす」と宣言したのです。2025年度の防衛省予算は約8.7兆円とされ関連予算を合わせた合計9.9兆円は、GDP2022年度比にしておおむね1.7〜1.8%程度。これをさらに2%まで引き上げようという構想です。
しかし、この増額分はどこから捻出するのでしょうか。社会保障費や教育費、地方交付税などにしわ寄せが及ぶのではないか。今後、税率が引き上げるのではないかと、国民負担が増える事に心配が及びます。
2.「2%」という数値のマジック
政府が掲げる「GDP比2%」という目標は、実は防衛省の予算だけを指していません。
海上保安庁、在日米軍関係経費、国際平和協力(PKO)経費、サイバー・宇宙分野の研究開発費、さらには港湾・空港整備など安全保障に関連する経費の合計を含めたものです。
このように範囲を広げてようやく「2%」に到達する計算であり、その意味では「防衛省予算を単純に倍増させる」ということあではありません。とはいえ、総額として国家予算に占める“安全保障系支出”の比重が大きくなることは間違いありません。
問題は、この「2%」という数字が目的化していることです。
「なぜ2%なのか」「何をもって達成とするのか」という議論がほとんどされていません。
NATO諸国の基準を意識しているとも言われますが、そもそも日本の地理や憲法の制約、経済状況を考えれば、単純な横並びでよいはずがありません。数値ありきの政策決定は、政策の本質を見あやまる危険があります。
3.暮らしとの競合が始まっている
財源は有限です。防衛費を増やせば、どこかを削らなければならない。
すでに教育や福祉の分野では、「予算がつかない」「補助金が減る」という声が出ています。
たとえば、保育所運営費や障がい者福祉、医療体制の地域格差などは、今まさに改善が求められている分野です。にもかかわらず、防衛費が優先される構図になりつつあり、これは明らかにアンバランスです。
また、消費税や所得税などの増税論も再浮上しています。「防衛力のためなら負担を」と言われても、生活に余裕のない人々にとっては到底納得できる話ではありません。
防衛とは“人々の生活を守ること”のはずです。その目的のために暮らしを犠牲にしては、本末転倒です。
4.「戦争への道」を開く危険性
防衛費の拡大が即「戦争」につながるわけではありません。しかし、軍備の量的・質的拡大が進むほど、周辺国との緊張は高まり、偶発的な衝突や誤解のリスクも増します。
日本は戦後、「専守防衛」を原則に掲げてきました。
ところが、近年の政策を見ると、「反撃能力」「敵基地攻撃能力」など、これまで避けてきた概念が次々と登場しています。装備も長射程ミサイルや宇宙・サイバー戦能力など、攻撃的とも受け取られるものが増えています。
「抑止力の強化」という言葉は聞こえがよいですが、その実態は「先制攻撃の可能性を排除しない」方向にも見えます。これは戦争を防ぐための準備ではなく、戦争を呼び込む準備になりかねません。
そして、その行き着く先で犠牲になるのは、結局いつの時代も国民です。
5.必要なのは“数値”より“対話”
防衛力を強化すること自体を否定するわけではありません。安全保障上の課題が存在することも確かです。
しかし、国家の安全保障とは、単に「兵器を増やす」「予算を増やす」ことではありません。
外交努力、平和構築、人道支援、国際協力、地域信頼――これらすべてが揃ってこそ、真の安全保障が成立します。
そのために必要なのは、「2%」という数字ではなく、目的と手段を国民が共有できる対話の場です。
どんな脅威に、どう立ち向かうのか。そのために何が必要で、何が不要なのか。
国民の理解と納得を得ないままに予算だけが膨らんでいく現状は、民主主義のあり方そのものを危うくします。
結論:暮らしと平和を同時に守る政治へ
いま私たちに必要なのは、暮らしを削ってまで軍備を拡大する政治ではありません。
物価高に苦しむ家庭、教育費に悩む親、介護を担う家族。そうした人々を支える政策こそが「国を守る」第一歩のはずです。
防衛力の強化は、目的ではなく手段です。
暮らしを支え、平和を築き、戦争の影を遠ざける、いま求められているのは、そのための道筋を描ける政治です。
数字の達成を目的にするのではなく、「人の命と生活を守る」という政治の原点を取り戻すときではないでしょうか。
防衛費の“数値ありき”ではなく、暮らしと平和を優先する政治判断こそ、いま日本に求められていると思います。